2008年5月19日月曜日

四国遍路:2日目のサマリー


楽しい夕食

いつの間にか眠ってしまっていたようで、食事の電話にて目を覚ます。
廊下に出ると、あのおばちゃんと女の子がいた。彼女たちもここに宿泊していたのだ。
一緒に1階へ下りる。

食事はずいぶんごちそうである。

すでに着席していたのは、同じバスで名古屋から来た50代の男性、40代ぐらいの坊主頭の男性。わたしと女の子とおばちゃんは、その隣のテーブルに座った。すぐに関西なまりのある70前と思われるご夫婦が降りてきて食事の時間となった。あともう一人、食事なしの素泊まりの女性がいるそうだ。

私以外のメンバーは、昨日は六番札所、温泉山・安楽寺の宿坊へ宿泊していたようで、すでにうちとけている感じである。
すこしでも1日で行ける札所を多くしようと十楽寺を選んだのだが、十楽寺と安楽寺は1.2㎞ほどであるから翌日も大したロスにはならず、さらに安楽寺にチェックイン後、十楽寺へ参る方法も可能である。

単に少しでも遠くの札所へリードを広げ、そこで宿泊するという計画は、遍路中に忘れ物や道の間違い、事故などを想定していなかった。そしてなにより、温泉付の宿坊に泊まれなかったことが未練になってしまい、そんなことを考えていると、

「昼間、すごいスピードで切幡さんから降りてきたよね」

と声をかけられた。
法輪寺の納経帳を話すと、空気が和やかな笑いに包まれた。

また歩くのがとても速いね、とほめて下さる方もあったが、「どんなに速くても、忘れ物や手抜きがあると、結局は一番遅くなるわけです」と反省しながら答える。

老夫婦のご主人が、「うさぎとかめのうさぎみたいなもんや。結局かめに負ける」。
営業職にありそうな会話の上手いお調子者のようであまり好きなタイプではない。

彼の話を真剣に聞いていたら、「ほれな、また真面目な顔しとる。おまえは真剣に聞きすぎなんや。」

彼の言うことに反論してはみたものの、たしかにこの楽しい雰囲気に身を任せ、ひとの言葉の端々に反応し、杓子定規な論理を展開するのは場違いな気がした。

つねに真剣にとらえていれば、すべての事が把握できて解決できると思ってきたが、彼は、実はそうではない、ということを教えてくれた気がする。

ただその彼は、女性関係の話がとりとめもなくなってきたところで、奥さんに引っ張られて先に部屋へ帰っていった。

女の子はあどけないのが残った感じの大学生4年生で、東京外大というからかなり優秀な子なのだろう。初日からしばしば会っていたのだが、しっかりと話ができたのはこれが初めてとなる。
彼女たちは、私のことをお寺さんの息子が、修行で廻っていると思っていたらしい。とはいえ修行僧と間違えられたのには悪い気がしない。

仕事はなにをやっているか、という話から、病気一般のはなしになり、その女の子はストレス障害はどうやったら治りますか。と聞いてきた。

すぐに的確な答えを出すことはできずに、ごく一般的なことを言ったような気がする。

みな、明るく楽しくご飯をいただいたけれども、それぞれには果たせなかった思いや未練、悩みをもって四国を歩き遍路をすることを決心していることがよくわかった。

旅館・吉野

雨は降り続いているものの、ほっとしたのもあり、気にならない。
菅笠はなかなかすぐれものだと思った。


旅館・吉野。2階の部屋へ案内される。洗濯機と乾燥機があったのですぐに着替えて洗濯をした。代金はそばの貯金箱へ入れることになっている。

お風呂は2つあり、空いているときに入って良いことになっている。

夕食までに時間があったので、納札に名前を記入しておく。
さすがに足が痛くなってきたので、足の三里へ灸を行う。
換気のために窓をあけると、すこし雨が強くなってきたことがわかった。風も出ている。

十一番札所・藤井寺

潜水橋を一つわたり、中州の辺りで雨が降り出した。しかし雨合羽を着るほどではないと判断。早足ですすむ。

藤井寺についたのは、15時20分頃。しとしとと雨が降る藤井寺ではカジカが鳴き、しっとりとした雰囲気になっている。


無事に納経を終え、旅館吉野へ向かった。

吉野川の潜水橋


結局、切幡寺のふもとまでもどった。約45分。違う道を通ったので、たいくつはしなかった。

そこから吉野川の堤防に向かう。


ついたのは更に40分後。さいわいなことに、ここまで雨には降られなかった。












堤防にあがる。これが吉野川か。とにかく広い。








むこうに続くのがうわさに聞く潜水橋のようである。














手すりもなにもない橋。車1台は通れるようになっている。





        





河川敷へ降りてみた。





ずいぶんごつごつした石だ。いまはおとなしいが、激しい川であろうと想像させる。






自転車のお遍路さんに時間を訪ねられた。彼は今日中に焼山寺を越え、大日寺まで行くとのことだ。さすがに無理でしょう、と答えると、「納経所は17時までだしなぁ」と言い、走っていった。



彼は無事に焼山寺を越えたのだろうか。



義満と一休

雨が心配だったので、吉野川の堤防に出やすいように考え、阿波農業高校の脇を通る県道12号線を歩くことにした。

かるい上り坂をあるいていると、左手にグループホームらしき建物がみえてきた。




四国にもこういうところがあるのだなあ、と思いながら近づいていくと、






義満と一休、で、心と心・・・どういうおもてなしなのだろうか、などと考えながら通り過ぎるのであった。

梅の家さんでお接待を受ける



ここまでで4時間を超え、精神的にも疲れたのと、雨も降ってきたので昼食をとることにした。法輪寺門前の、梅の家さんである。

今日は営業していないのかな、という風であったけれど、「うどんぐらいならだせるよ」とのありがたいお返事。山菜のうどんをいただいた。





小皿に載っているのは、すかんぽというお漬け物で、イタドリを塩漬けにしたものだそう。しゃきしゃきしておいしく、血がきれいになる感じがした。


お会計のときに、お接待ということで、小さなきんちゃく袋を頂いた。きもちが沈んでいた時だけに、あたたかい気持ちになることができた。








阿波中央橋で近道をするべきか・・・?

昼食を終えた時点で、すこし考えてしまった。
サインのもらい忘れで、1時間半ほど遅れてしまっているからだ。
予定では、吉野川の潜水橋を渡っている頃である。

ここから阿波中央橋を通るルートを使うと、約7.5kmで十一番の藤井寺に着くことができる。時間にして1時間半ほどであろうか。雨もときどき強く降ってくる。


切幡寺のふもとまで3.1km、そこから潜水橋のルートで向かうと8.6km、11.7kmの道のりで、比較的へいたんな道が続くと考えられるから、雨降りでも時速5km弱で進むことは可能だろう。休憩なしで2時間半、15時には藤井寺に着くことはできる。納経所は17時までだから時間的な問題はない。


切幡さんのふもとまで戻って、そこから藤井寺を目指すことにした。

再び法輪寺へ

急いで戻りながら、法輪寺の住職が言った事が本当になったので、思わず笑えてしまった。

2時間程まえ、法輪寺の手洗い脇に用意されていた杖立てに、杖を入れてお参りしようとしたら、寺務所の横にあるベンチに腰掛けたじいさんが、手招きしているのがみえた。 何だか小うるさそうなじいさんだったので、無視しようとしたが、『こっち来い!』と恐い顔で睨む。 しょうがないので行くと、『杖持って来い!』という。 持って行くと、リュックサックを降ろせという。 面倒だが恐いので、降ろすと、丸いところ(上にある掴んでぶら下げるワッカ)に、杖を通せ、という。

次に何を言われるのだろう、と、びくびくしていると、

『忘れる。』
『おまえのような足が達者なのは、忘れ物をする』
『こうすれば、忘れない。』

なんて失礼でお節介なのだろう、と少々気分を悪くしてしまい、さっさと立ち去りたかったのもあり、お参りも気がそぞろに済ませ、にこやかに、じいさんに御礼を言いに言ったのだ。

リュックを担ぐとじいさんは、腰のベルトを山野袋の上から縛れ、明日、焼山寺を目指す時には、胸のベルトも縛れ、と言って、ギチギチに締めてくれた。 うれしい心使いであったが、まったくそんな事は当然の事でもあるし、とっとこ法輪寺を後にしたのだった。

じいさんの心遣いで足取り軽く、それにしてもあの住職、どうして私がおっちょこちょいで、うっかりミスが多い事がわかったのだろうかと、半分(以上)ぷりぷりしながら、切幡寺に向かっいたのだった。

納経帳へのサインの事も忘れて。

法輪寺に戻ると既に住職の姿は無く、バス遍路の観光客で賑わっていた。



杖無し橋 --- 十番:切幡寺



県道139号線を進んでいくと、「十番札所 切幡寺 700m」の標識が見える。この辺りにはバスの駐車場があり、何台かのバスが休んでいた。

標識の角を右折すると、坂道の両脇に、食堂や売店、旅館などが建ち並んでいる。ここまでの平坦な道に比べ、かなりの坂(平均124‰)で、歩きの人にとってその覚悟をせまる最初の試練となることを予想させる。



山門にたどり着いたと思ったら、本堂はさらに三三三段を上った上である。


ほんとうに登り切れるのか、と思うあたりに「杖無し橋」がある。

両足がわるく、両杖でなければ歩けなかった女性が、ここまでがんばって来たとき、とつぜん杖なしで歩けるようになったという逸話。

10分以上かかったかと思うが、なんとか登り切り、お参りをすませて納経帳にサインを頂くときに、大変なことに気づいたのだった。

法輪寺で、納経帳にサインを頂くのを忘れていた。

遍路標識の不整合。どっちが正しい?

熊谷寺へ歩いていくと、反対から来るお遍路さんとすれ違う。朝早くから忘れ物、というわけでもないようで、逆うちの人かもしれない、と思いながらも挨拶。多くの人は菅笠・白衣ではなく、山岳縦走でもするかのような服装をしていた。

遍路地図に従って、十楽寺から1.5kmほど、御所小学校が脇にある交差点に謎がある。


 
遍路シールは、遍路地図通り、道なりにまっすぐ進め、であり、右折しようとすると2枚目の「左だよ」シールが注意を喚起してくれている。

問題は、建設省・徳島県が作っている「四国のみち」という石塔。(のちにこれはあちこちで登場し、地図ルートと違う道を案内してくるので困ることがあった)。この石塔は、小学校の角を右折せよと言っている。

わたしは遍路シールを信用することにして、みちなりに進んでいったが、次の交差点でひっかかってしまった。ここの道路標識。切幡寺は右となっているので、地図を確認せず右折してしまった。


わたしはここで右折をしたが、ここと、先ほどの一つ前の小学校で右折していると、土成ICにでる。こちらからゆくと、仁王門を通過することなく寺に着いてしまう。山門で一礼をすることを大切にしている人にとっては、少々ではあるが、後戻りをしなければならないことになる。

へんろみち協会の地図通りに右折せず、直進し、仁王門から熊谷寺にあがるほうが無駄が少ない。


「四国の道」や「道路標識」は、へんろみち保存会のルートとは関係がないようで、たとえばここでは徳島自動車道の土成ICと、それに付随する新しくてきれいな道へ誘導するようになっている。足が悪い人にはよいのかもしれないが、IC近くということもあり、大型車が頻繁にとおるため、菅笠があおられることしばしばである。新しくてきれいな道というのは、作った方からすれば、使って欲しいものなのだろう。

遍路二日目 十楽寺宿坊を出発

朝には勤行が行われるので、本堂へ。

どうも住職、動きがさえない。風邪を引いていたようだ。
お経を唱えると、のどが絡んで、咳払いをしたりしている。

真言宗では勤行(お祈り)の時に、鐘やシンバルのような楽器を使い、節を入れたり儀式の切れ目に使ったりする。

うむ。つぎはなんの楽器を取り出すのであろうか?とおもって注視していると、
左下の段の中ほどから、ティッシュペーパーが登場。これにはたまげた。

鼻をチーン、とやったのち、つつがなく勤行は終わりました。



そしてお食事。自己主張の代わりに強い信念をもっているタイプの昨日のおじさんから、礼を言われる。
彼のうどんの鍋に給仕係が火を点け忘れたのを、わざわさ呼んでくれたことを感謝されているようだ。

しかし振り返って考えれば、彼はまた給仕係が来るだろうから、そのときに自分で言うつもりだったのかもしれない。

お接待・・・お節介・・・ 四国遍路は、自分の持つ、また自分を取り囲むさまざまな問題をシンプルな形で提言してくるような気がする。


7:53 気分を切り替えて荷物をまとめ、寺の自販機でお茶を2本購入して,出発。



2008年5月18日日曜日

2008年5月13日火曜日

発心の道場・阿波の計画

調べてみると、遍路に関するブログもかなり見られる。区切り打ちをしている人の場合、

  1. 1:霊山寺 → 17:井戸寺 78.6km
  2. 1:霊山寺 → 19:立江寺 99.4km
  3. 1:霊山寺 → 23:薬王寺 149.8km

1.と2.が殆どで、薬王寺で終わる人は少ないようだ。一つ前の札所からの距離が短いことと、鉄道の駅が近いことがあるため、区切りとしてよい所なのだろう。

少々欲張り気味ではあるが、19番の立江寺まで行ってみようと思う。



2008年5月12日月曜日

思い立ったが吉日

まとまった有給が使えることになったので、四国遍路に行こうと思いついた。

最近、四国遍路がブームになっているようだ。今から10年ほど前にも、NHKで四国八十八カ所という番組をやっていて、いろいろなゲストが交代で数ヶ寺を訪問するというものだった。

忙しいこともあり、土佐が終わったころからだんだんと見なくなってしまった。

喜多郎さんの音楽が実に印象的で、あの鈴の音とともに脳に焼き付いている。